昨日のエントリで、自分が絵描きとして挫折した事を書いた後、読者登録をしているブログをチェック中に、まさに芸術系大学出身者の卒業後の厳しさについて書かれたエントリを発見した。
ユーリオさんは、こちらのブログを見てTwitterに感想を述べたところ、ブログ主から返答があったということだ。
芸術系出身者の卒業後の進路の厳しさを述べた文章自体は、自分自身が身にしみて感じた事で異論はない。
だが、大きな見落としがあるようにも感じた。
結論に違和感があるというか、自分から見ればかなり甘い認識で進学希望したり、それを勧める意見が出そうな気配を感じたのだ。
しばらくして、危惧した通り、次のエントリが上っていた。
先ず、自分の結論から書こう。
芸術系に進むかどうかは、何よりも、本人が本当に芸術を好きかどうかを見極めてから決定すべきだ。
「そんなの好きに決まっているだろう」と本人がいっても安易に信じてはいけない。
なぜなら、本当は好きでもないのに、周囲の反応に影響されて、「自分は芸術が好きなんだ」と本人自身が誤解している事があるからだ。
はてな的に流行った言葉で表すなら、
承認要求を満たしたいだけで、自分の気持ちを誤魔化してないか
という事だ。
ユーリオさんのエントリを見て真っ先に気になった文章は、これだ。
一般的に言ってしまえば、美術系の大学に通っているだけで羨望の眼差しで見られる事があります。
昨日、一昨日の自分のエントリであった反応が、まさにこれだ。
【人生】スペック追うのは意味がない。むしろ不幸になる。 - スネップ仙人が毒吐くよ
単純に、うめぇ~!!と思いました。知らない人から見ればそんなもの(だからちょっともったいないと思いました)。
2016/01/14 12:25
もう筆を折って描く気がないのに、こういう言葉を、素人の人から何度も聞かせられることになるのだ。
それは、これから芸術系大学に進もうと考える、学生の場合も同様である。
ちょっと器用で、他人より少しだけ上手く出来るというだけでも、田舎の学校などでは絶賛の言葉を浴びる事になる。
そうなると、本人に芸術に対しての深い愛情がなくとも、気持ちが良くなって「自分は芸術が好き」と勘違いしてしまうのだ。
一旦そのような気持ちを味わうと、もっと多くの絶賛=承認を得ようと努力を始めるようになってしまう。
運よく、承認要求を満たせる絶賛を受け続ける事ができれば問題ないが、現実は甘くはない。どこかで、壁に突き当たる事になる。承認要求だけで努力を続けてきた人間は、そこで折れてしまう。
なぜなら、本当に芸術が好きではなかったからだ。
痛い事に、自分は何十年もこの事に気付く事ができなかった。
気付けたのは、はてなを利用するようになって「承認要求」という言葉を知ったからだ。
自分の場合、幼い頃から絵画教室に通った経験があって、その所為で平均的児童よりも絵の成績が良かった。それで、画業を志す事になるのだが、むしろ自分は絵よりも工作の方に興味があったと思われるのだ。
だから、漫画家・イラストレーターに挫折後、フィギュア制作を始めるのだが、賞賛を浴びる事は殆どなかったにもかかわらず、こちらの方が肌にあっているように感じられたのだ。だが、それは芸術的センスの問題ではなく、手を動かす事が好きだっただけのように思う。家電を分解修理したり、半田付けをする事も同様に楽しいからだ。
行く道が困難でも、本人が芸術の事を真の意味で愛しているなら、克服可能だろう。
だが、単に承認要求を満たす為の道具として、好きと誤解しているなら、その道を進む事は悲劇でしかない。
2016/1/15 7:49 追記:
ユーリオさんのブログの読者には登録していませんでした。勘違いしていました。道理で、彼のアンテナに自分のエントリが引っかからなかったわけです。