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スネップ仙人が毒吐くよ

50代ひきこもりの独白記


ひきこもりを攻撃する世間の冷たい視線

思考

同じひきこもりとして身につまされる、いやな事件をまた見てしまった。

blog.livedoor.jp

何がいやって、事件そのものは勿論、タイトル見ただけで、常識人の皆様の立派な御批判(悪口と言ったら失礼ですよね)を想像できてしまうって事が。

 

世の中の為に良かれと思って発言されていらっしゃるのだろう。

同類のゴミクズとして、当に自分が批判を浴びているかの様だ。

恐ろしい、誠に恐ろしく、心打ちひしがれているところ。

 

orz......

昨日、このブログを公開設定にしたことで、ついにカミングアウトしてしまった自分も沢山の批判を浴びてつぶされてしまうのではないか?

それだからこそ、一旦書き始めても何日も公開に踏み切れなかった。

はてなブログを設定する以前にもカミングアウトすべきか何年も悩んだ。

どうなってしまうのかとても恐ろしい。

 

実をいえば、このブログはまだ誰にも見られていない。

記事を書いた後で公開設定に変えたので、新着記事として載らなかったし、もちろんGooglebotも来ていないので、アクセス0のまま。

このまま閉じてしまおうか。

 

冗談、そんなの当然予想したし覚悟したから公開したんだ、続けるよ。

自分は耐えるつもりだけど、

こんな批判が待っているとしたら、普通の精神の持ち主だってとてもカミングアウトなんか出来やしない。まして虐めや挫折を経て落ち込んだ精神で、どうして「自分はひきこもりです」と告白できようか。

 

ひきこもりが表に出られずひきこもるのは、世間の冷たい視線が怖いから。

そして普段はひきこもっているから、不幸な事件として発覚しない限り、世間の常識人たちもその存在を認識できない。特殊な犯罪者として心無い言葉をぶつけてしまうのも仕方ない事なのだろう。

存在が認識できないから、34歳までのニートはある程度想像できるとしても、「40・50のひきこもり、そんなの本当に居るの?うそでしょ」という反応になってしまう。

 

結局、世間との意識の溝を埋めるには、ひきこもりといえど勇気を出して、ステルス生活の一部でも解いて発信・行動するしかないと思うのだ。